精神障害者と向き合って思うこと

アーケードに柔らかく秋の日が

 この人達の病気の部分と向き合うと、私は自分の無力さにどんどん落ち込んでしまう。何ももうこれ以上のことは望めないのだから、これ以上病状が悪化しないように、服薬管理と心のバランスを崩さないためのメンタルケアが求められる。現状維持。それだけでいいの?
 私にしかできないことって無いのか。ふとそう思った。この人が生きていく上で欠けているもので、私と一緒に取り戻すことのできるものはなんだろうか。病気になったがゆえに、なんだかたくさんのことを必要以上に失っているように感じる。
 そして思った。この人の健康な部分となら私は理解し合い、寄り添い合うことができる。私が無理に頑張らなくても、私は私、あなたはあなた。ありのままで関われる。
 この人が私といて気持ちが優しくなることだってできる。悲しみを共に悲しむこともできる。どうにも成らない怒りや無念さをわかちあうこともできる。知的障害があろうと、言葉が不自由であろうと人として気持ちを通わせることはできる。もちろん私の手は事務的な作業をしながら、心は必要な支援をしながらでも共にその場所その時間を味わうことはできる。
 バリアフリーってこういうことだよね。向こうからこちらにやってくることだけではなく、こちらから向こうの世界に入ってゆくこともまた意味する。通いあうこと。人と人は通いあうことができる存在なんだな、きっと。