チュンチュンは

手に乗ることを喜ぶようになった

まだ頑張っている。もう止まり木まで飛び上がることはできないのに、下においたお皿の餌を食べ、なんとか自力で生きている。見ていると亡くなった息子に重なってとても切ない。命の燃え切ってゆく有り様は、自分もまたひとつの命であることを思い出させる。何時か私もこうやって燃えつきていくのだろう。

 私が居なくなってその先のことは考えることはしない。自分の体一つ始末できないのが定めだから。まして、ささやかに残った品々のことなど思い煩ったところでどうにも成らないと思う。
 人は裸で生まれ最後は体さえ置いてゆく。むしろさっぱりと、綺麗に消失してゆくことは恵みだとも思う。

 死を間近に控えて、なおも命にしがみつく人を見ていて、これは遺される者にとっても辛いなあと思う。受け入れることでしか与えられない平安がある。去ってゆくものにしか残せない恵みもある。そのことを考える。