自分が生きていないように感じる

手の届く距離から

 何のために今日を与えられたのかと思う。それは悲しい時間の使い方だ。誰かの必要を満たすために役立ったにしても、自分のために使った一時間を取り替える気にはならない。すべての時間を自分のためにだけ使える時が来るのだろうか。
 セミの姿を見ると自分の姿と重なる。一生懸命地中で生きてそして最後の一週間で精一杯自分の命を燃やす。あの鳴き声を聞くと切なくなる。私は自分の生涯の何時の時点で自分のために時間を使うことができるのだろうか。もしその時間があったら、ゆっくりと神の前に座りたい。
 多分私は両手に荷物を抱え必死で歩みながら終わるのだろうな。