夏休みになると

夕暮れがともる

いつも見える風景がある。妹と二人どうやって時間を潰そうかと悪戦苦闘した。町内会の子どもたちとはあまり遊ばなかったから。育ったところは何社かの大きな社宅用住宅地で、各社宅が区画ごとに集まって目に見えない境界線があるような住宅地だったから、その壁を超えて仲間になるのはなかなか大変なことだった。いまあの集合体はどうなっているのだろうか。
 目には見えないけれど、皆知っている地区割りがあって子供心にこの塀から向こうは越えて行ってはいけないのだと思っていた。同じ小学校に通うもの同士であっても学校以外ではあまり交わることができなかった。あの頃長い一日を私と妹はどうやって過ごしていたのだろうか。朝のラジオ体操から午前十時までは外に出てはいけない時間で、勉強をしていたはず。その後遠くで子どもたちの遊ぶ声が聞こえて、妹と母と三人で買い物に行ったり、映画を見に行ったりしたのだろうか。
 田舎の叔母の家に行った記憶、それぞれ順繰りに、いとこ同士で互いの家を行ったり来たりお互いに預かりっ子していたような気がする。叔母の家は農家で田んぼが有ったりひつじや鶏がいたり面白かった。沼があってそこにオハグロトンボやイトトンボがいてその色合いの美しさに見飽きることがなかった。蛙の声があんなに力強く迫力あるものだとは知らなかったし、蝉の声がシャワーのように降り注ぐことも、雨が突然周りの風景を見えなくしてしまうほど激しく降ることも、皆夏休みの体験だった。あの時一緒に遊んだいとこ達も亡くなったり、音信不通になったり、認知症で施設に入ったりもう誰とあの記憶をたどることもできない。
 それでも幼い私はたしかにあの風景の中に今もいるし、私はあの頃の景色や音が好きだ。田舎の煙臭い匂いだけは好きになれなかったけれど。囲炉裏があったのだろうか。薪ストーブがあったし、お風呂は外にあったし、トイレも外で誰かと一緒でなければ用をたせなかった。毎年それでも遊びに行くのが当たり前でいくら通っても飽きるということがなかった。
 夏の記憶は亡くなった人たちとの記憶でもある。私の記憶の中で、皆笑ったり走ったり、いきいきと感じ取れる。でもその人達の思い出を分かち合うことの出来る人はもうだれもいなくなった。