今日は宮城県大会

モノクロの街

 被災地にあってどう生きてきたのか。どう生活の立て直しをしながら、被災者支援をしていくのか。みずからが被災者でありながら、共に被災者として何ができるのか。それを実践していくことを確認する日になりそう。今年は親分が県全体の責任者を引き受けてしまったから、他人ごとではなくて自分のこととしてサポートすることに。影に隠れて人の目に触れない所で落ち穂拾いをしていく。例えば分乗する車の手配はすんでいるが、自由に動ける車として自分の車を出すとか、乗り遅れた人を運ぶとか、具合の悪くなった人を自宅まで送り届けるとか、お弁当を配るのを手伝うとか、現場でだれもが必要とするがちょっと手助けが必要な、隙間仕事を引き受ける。大事なのは目立たないようにひっそりと動くこと。ボランテイィアのボランティアは黒子に徹することが必定。
 楽しく働こう。信徒大会というと何やらおどろおどろしく聞こえて嫌だけれど、年に一回地域にバラバラにあって活動しているカトリック教会が、一堂に会して支えあう仲間を確認する。小さな教会は日曜日に5人も来ればいいという規模から、広い駐車場があっても車を停める場所もないという大きな教会まで規模は違っても皆一つの樹の幹。大きければ大きいなりの役割、小さければ小さいなりの役割がある。
 教会は地域の中で果たすべき役割があり、日曜日の礼拝だけが教会の役割、機能ではない。人も建物も活動も祈りも、皆地域に向かって開かれた存在でなければならない。現に多くの教会が被災者支援のボランティア活動のブースになっている。私たちの教会も支援物資の基地ブースと、支援者の宿泊施設、支援者の食事作り、直接的に仮設住宅支援を大震災直後からずっと続けている。自らが被災者であることは決して無意味ではない。大きな意味を持つ。痛みを知るものだからこそ出来得る支え方があると思う。その現実の姿、被災者として被災地を支えてゆく苦悩を、お互いに見つめ、受け入れ、あるいは正していくために、この全体会が必要になる。言ってみればひとりよがり、独善を正すために。また、倒れないために。
 今日は帰る頃に雨ということらしい。降らずに帰宅までお天気が持ってくれれば良いなと思う。