雨が降ろうと

3年目のミニ薔薇

何があろうと、花は蕾を付けて、やがて時が来れば咲く。人もまたそうなのだろうか。人間は自分の行為や想いに余りにも作為を持ちすぎるのではないか。だから自分の思った時期と実際の自らの時の満ちる時期が一致しないと思い通りにいかないと、運が悪いとか神から見放されたとか大騒ぎする。本来の自らの時を心を沈めて読み、もしくは受け入れれば生きることはごく自然な成り行きになる。自分もまた時を知っている存在なのだと思えたら、生きていることに不安がなくなるだろう。最早自分の体の中奥深く流れている時間に身を委ねて、今 わかることに精一杯の感謝を込めて撃ちこむことができる。そしてその日がそれで最後の日出会ったとしても、旅の途中出会ったにしても、何一つ思い残すことはない。人は自由に生きることができる存在だ。
 死ぬことは、大きな別れを意味する。死んでいくことは、生き残っている人たちに別れを告げること。生きることは死んでゆく人を見送ること。別れはいつも人の人生の中にある。自分だけその悲しみを体験しなくて住むことはない。生きることは悲しみを知ること、受け入れることでもある。思えばなんとたくさんの人の死に私は立ち会ってきたことだろうか。そしてなんと多くの人の生きる勇気と出会ってきたことだろうか。悲しみは私にとって最も親しい感情かもしれない。