託されたもの

ガードレールのある階段

 あるクリスチャンが亡くなった。遺族が遺品の整理をした。そして巡り巡って私達のところに蔵書が舞い込んできた。その本たちの整理をしていて、思わず懐かしい名前に出会った。昔、まだ結婚してすぐの頃、東北のある街で出会った人の名前があった。お付き合いしている時はその方のバックグラウンドは何も知らず気のいい老婦人だとしか思わなかった。一人暮らしもそろそろ限界だというので、娘さん一家に引き取られてゆく話が出ていた。その方が。人生をかけて夫婦で、宣教師として日本に来て多くの働きをした人だと、初めて知った。あの時それを知っていたらどうだったか。おそらく私達の間に何も変わりはなかっただろうと思う。私たちは過去を話題に取り上げることはしなかったから。今初めて彼女の人生を知ることができて、感慨深いものがある。
 私が出会う人達に共通しているのは、彼らは私が何をして生きてきたかを問わないし、私も彼らの過去を問わない。ただ「今ここで」出会ったことだけを感謝する。そしてお互いの心の響きを楽しむ。それ以上を求めないし、それ以下でもない。一瞬のふれあいの中に、永遠の響きを感じ取る。そんな出会があったから、私は生きることが楽しいと感じられて、今日まで生きてこられたのだと思う。懐かしい人の人生をこんな形で知ることなど思いもしなかった。
 託された本はまるで私の本棚のようで、過去に持っていていつの間にか消えてしまった本たちがまた戻ってきた。神様が私にくれた贈り物としか思えない。ありがとう。