あまりの激しさに目が覚めた

夏わずか前の木立

 思ったことは「明日施設訪問だけど車が出せるだろうか」ということだった。私の居住区域は伊達さん時代からの堀が走っていて津波もここを通って行った。雨が降ると堀は水を流しきれなくて水が一体にあふれてしまう。やがて堀にあふれた水は吸収され流れ去っていくのだけれど、溢れてしまうと道路が冠水して走れなくなる。だから雨が激しいと私は仕事に行くことができなくなる。不安のまま目が覚めたら、空は青く鳩がのどかに鳴き交わしていた。さあ、今日も仕事だよと背を押される感じがする。
 時々祈る言葉がある。困難にあった時、困難が待っている予感がするとき祈る。
神様
もしも、私のこの働きが
神様に祝福されたものならば
どうぞ無事に仕事ができますように。
アーメン

祝福されてさえいれば、どんな困難が予測されていても、その仕事は成る。もし祝福されていなければどんなに楽な仕事でも成らないと思う。人の意志ではなく貫かれるのは神の意志。私はその道具にしか過ぎない。道具は道具なりに道具としての最善をつくす。結果は考えない。ただそこに神の手が働かれることを信じる。そして明日のことは明日に任せる。ただ今日一日を完結させることだけ。喜びも悲しみも苦しみも、また新たな一日分やってくる。一日、そしてまた一日。人生はこうやって実り豊かに完結する。