あたかも何もなかったかのように

雨上がりの陽が透きとおる

 淡々と仕事をしている。職場には何も言わない。
 皆遠い国で死ぬことがどんな気持ちを持つものなのかを知りたがる。そこに至るまで離れた家族がどんなふうに互いに支えあったのか、それとも隠し通したのかを知りたがる。死ぬ直前に、母国に帰りたがったのか、それともかの国を選んだことに誇りを持って死んだのかを知りたがる。



私には答えられないことばかりだ。
答えることを私は潔しとしない。
彼女の心の奥深くにあった思いを
誰も思い測って語ることは許されない。
ななつ年の離れた妹が、癌で亡くなった。
それ以上でも、それ以下でもない。
他者の好奇心を満たすために私は語り部にはならない。




 むしろ彼女を守るためになら彼女の死を沈黙の中に閉ざしたほうがよい。私もこれ以上傷つきたくはない。彼女が亡くなったことを彼女のごく親しい人に伝えた時、私はなぜこんなことに答えねばならないのだろうかと思った。その死が、いかに自分にとって好奇であっても問うことが傷つけることを察したら、問わないのが礼儀だろう。矢継ぎ早に取り調べのように質問する人たちにもう電話をかけることを止めてしまった。亡くなったものはもう時間を持たないのだから。年賀欠礼は無遠慮な人の口をふさぐのに便利だと思った。心が傷つきやすくなっている時、人間はこうでもしなければ自分を守れない。守っていいんだと私は思う。他人の好奇心にズタズタにされる必要はない。