5月が終わる

夕陽に光るモンサンミシェル風

 ただの暦じゃないか。なんてことないさ。そう思っても、毎年5月は私にとって特別の日々になった。悲しみと狂おしい切なさに打ちのめされて過ごした年月を経て今の私が居る。
日付の一日一日があの子が生きてきた記憶をなぞっていくかのようだった。毎年日々の表情は変わっていても流れてゆく心の水底には変わらない喪失感があった。
 子供の死を忘れることも、乗り越えることもできない私を、なんとか立たせて歩き続ける。そうだ。これが人生ってものだ。信仰があろうとなかろうと母親ってこんなものだ。これが当たり前なんだ。私は普通の母親なんだ。それでいい。それがいい。
 カウンセラーだから、信仰者だからと自分を責めるのはやめた。失ったもののあまりの大きさに、壊れてゆく自分の心を見つめながら、壊れたっていいんだよと思った。眠れない夜を繰り返し体に異変が出るようになって、それでやっと自分らしさが表出できてきたと思った。本当は直後から出ていいはずの反応が、数年間心の底に押し込められてきたことに異常さを感じた。
 それを打ち壊したのは東日本大震災だった。家が全壊になり、日常生活が奪われ、病気になり体が壊れて自分の中の壁も崩れた。たくさんの方が亡くなったからではない。あの地震に揺さぶられながら、私の心も悲しみを閉じ込めていた鎖が切れていった。人間もどきだった自分が人間に戻った感じがした。痛みや苦しみがストレートに戻ってきて涙が溢れてやっと私の心は私の心に戻っていった。
 長い長い年月が必要だった。あの子のたどった苦しみを私は私の苦しみを通して理解したのかもしれない。そしてこの旅はまだまだ続くだろう。私が歳を重ねてゆく中で気付き、また出会ってゆく感情があるからだ。それは最早一人のわが子を思う道ではなく、一人の人間の人生を通して人間に出会ってゆく旅であるようだ。私というものの人生をかくまで深く傷つけた命との出会い。その傷は憎しみではなく愛情そのものが作った傷だった。愛が無ければ傷は生まれない。喪失の大きさは愛情の大きさに比例する。どれほどの心の重なりがあったのか。遺された人間はそれでも生きようとし、その痛みから生まれた気持ちは、他者に手を差し伸べ同じ傷の人を庇おうとさえする。
 5月は私にとって命そのものと向き合う月。優しさに満ちて暖かな暗闇・・・・