生活するということ

mugisan2013-05-18

 自立支援に関わっていると、この人の暮らしは生活と呼ぶに足りているのかと思うことがある。衣食住足りてというが、果たしてそれだけでよいのだろうかと思うことがある。人の暮らしには基本的なその3つだけでは括りきれない要素がたくさんあるように思う。
人は他者に存在を受け入れられて初めて自らの存在をよしとされる。マズローの承認欲求をここで持ち出す気持ちではないが、誰にも相手にされず、其の存在を誰も必要としてくれないならば、その人の気持ちはいつ誰に向かって流れ開かれ実ってゆくのだろうか。関わりの中でこそ、ひとは自分を確認できる。不確かな自己内対話と自己完結型の生き方は果たして生活と呼べるのだろうか。
 そして家族の中でこの生き方を選ぶ人がいるとき、それは果たして家族と呼べるのだろうか。孤立して、本人にとってはあたかも自分の外壁は、自己確立の砦のように安全を保証してくれているようだが、それは他者の、この場合は家族の善意によって溝を埋められ気持ちを補給され維持されているに過ぎないように思う。アスペルガーの家族と暮らす人の苦悩と出会った時、私の胸に鋭い棘が刺さった。その家族の苦悩を思うとき生きることの壮絶な痛みを思った。

それでもなお、愛情は気持ちを支え続ける。