昨日の面接で

空を裂く

 自殺念慮の強いケースを複数対応して、きっと心のなかにその余韻が沈んでいたようだ。今朝の明け方まだ空が仄暗いうちに一度目覚めてまた眠ったらしい。亡くなった子の夢を見た。入学式か初聖体式の時か彼は正装で立っていた。トラブルが起きていて私はとっさに相手から彼を守ろうとして抱きしめた。私に背を向けて立っていたのでその少年が誰かはわからなかった。一旦トラブルが収まって私が手をゆるめると少年はクルッとこちらに向いて満面の笑顔を見せた。彼だった。
 わたしは「守ってやれなくてごめんね」と詫びた。彼は何も言わずただ素敵な笑顔を向けて立っていた。私は少しもあの子のことを忘れてはいない。あの子はこんなにもくっきりと私の中に生きているではないか。嬉しかった。そして私は何からあの子を守ろうとして守れなかったのかを自問自答した。病気から?人間関係?人生で出会ったすべての出来事?ああ私はもしかしたら、このわたしがあの子を産み育てた母であったことを詫びたのかもしれない。もっとたくましく健康に産んであげたならと思っているのか私は・・
 4月12日この日が別れの始まりに気づいた日だった。もうそんなことを思い返すこともやめてしまった震災からの日々を生きてきたはずなのにこうやってまた心は旅立ちの日までの一ヶ月をなぞっている。こうしなければ私自身がやっていけないのだろう。思い出せる分だけ思い出し、また再びの悲しみ愛しさの切ない感情の嵐に打ち砕かれながら、またひとつ私は打たれ強くなり根を深く張り、ほんの少しだけ抱える腕が強くなるのだろう。
 これがなすすべもなく愛するものを奪われて、残された者の生きていく姿なのだと思う。人は生き続けることによって、自らの日々の中で悲しみに根を下ろし自らの涙を無駄にはしない生き方を見つけてゆく。こうしなければ本当に悼むことを知ることもできず、それゆえに他者の苦しみ悲しみに寄り添うこともできないのだろう。
 カウンセラーという生き方は、これなしには成り立たない生き方なのではないだろうかと思った。ならば、子の死を抱えて生きていることそのものは、彼が私に託した己の命の煌きだったのかもしれない。彼の死を実らせてゆくために私の仕事や私の存在があるように感じている。一粒の麦が死ななければ実を結ばない。私もまた一粒のでありたいと願う。