ああ春だなあと思う

巻き雲が伸びている

春の甲子園は選手に三年生がいないから、なんとなく可愛らしい感じがする。卒業してしまった三年生が、今それぞれの新しい道を歩き出しているだろう時に下級生が懸命に頑張っている。高校生の一生懸命さと、そのいじらしさが好きだ。夏とはまた違った良さがある。
 jijiが野球をこよなく愛していて、自身もノンプロだったからいつも甲子園は夢中になってみていた。私にとって甲子園は、jijiの記憶と重なって胸がキュンとする。家にいる時はリビングにドカンと座って一喜一憂し、プレーの解説をつけながら手を叩いたりがっかりしたり、無邪気なファンだった。普段感情を表すことのなかった人だけに違う生き物のようで私はjijiを見ているのが面白かった。
 甲子園を見ていると私は幼なかった自分と、jijiの姿を思い返しているのだと気づく。そしてああ、あの頃のjijiに会いたいなと思う。彼は私にとっては、よい聞き手だった。めったに話すことはなかったけれど、私が真剣に話をすると、無駄なことは言わず、ただじっと静かに聞いてくれた。BABAは「お父さんは話を聞いてくれない」とこぼしていたが、言葉がない分深く寄り添っていたのではないのかと思うのだが、娘と妻では受け止めが違うのかもしれない。
 妻としては返ってくる言葉の少ない相手は、物足りなかったのだろう。家族はカウンセラーになってはいけない場面もある。夫婦は特にからみ合ってくんずほぐれつ戦う中でお互いに築き上げていくものがある。きっとそれがなかったのだろうと、今ならわかる。jijiを理解しないBABAを疎ましいと思ったが、jijiもまたBABAの寂しさを理解していなかったのだろう。
 遠い昔に去ってしまった老いた夫婦の姿が、高校野球の姿に重なって思い出を辿ってしまった。ふたりとも今会えたらもっとよい関わりができただろうにと思う。切なくも無限の距離を経なければわからなかったことだけれど。