慌ただしい仕事が終わって

赤信号で見える空

 ふと自分の時間に戻り、せっかくのこの時間を何に費やそうかと思う。自分と自分の回りの思いの違いにやりきれない思いをしたり、心が柔らかくなったり、一日の中で何度も心の空気は入れ替わる。こうやっていつか気が付かないうちにたくさんの出来事から解き放たれていくのだろうな。
 もうすぐ旅立ってゆくであろうひとの老いの時間を思いめぐらしている。いつこの身動きの取れないくらしが始まったのだろうか。いつ自由に動いたり考えたりできた自分の暮らしが終わったのだろうか。何もわからないまま、人生は自由から不自由へと変化してゆく。本人はどこで自覚したのだろうか。最後に人と触れ合った日はいつだったのだろうか。最後に心を打ち明けあったのはいつだったのだろうか。
最後に自分らしく過ごした時間はいつ終わったのだろうか。この不自由の始まりはいつだったのだろうか。これはまた私自身への問いかけでもある。若くなくなって、自分をおいた女と感じた時のやりきれない無力感は最早日常の中に潜んでいる。
老いは忍び寄るのではなく剥ぎとってゆく。力も能力も、そして心も。