さあ明日から

 被災地の幼稚園に頼まれた講演の準備にかかる。あの悲惨な被災地に踏みとどまって子育てをしている若いお母さんお父さんたちに、大地に踏みしめる足の力になりたい。同じ被災者として、同じ親として私は何を語れるのだろうか。言葉はあるのだろうか。
 心の底からの言葉をつむぎたい。言葉が思いを翼に変えて飛び立ってゆくことを願う。本音を吐こうと思う。生きること、生き続けることはたとえ何があっても変わることのない単純な繰り返しの果てにある。


今も地震津波の爪あとが残っている町に
生きていくことの大変さを
おそらく他の土地の人は思い至らないだろう。


空気の埃っぽさ、
異様に大きなハエの大群、
空気のなんともいえない腐敗臭、
ヘドロの粉塵の細かなチリのいがらっぽさと目の痛み。
すべてが日常なのだという感覚。


それでもこの町の瓦礫はこの町で処理しろと言う。
ビルのように積みあがった瓦礫の山の連なりを
離れた土地の人はわからない。



沢山の人がこの瓦礫の撤去作業で
亡くなっていることも知らない。
そしてゴミは持ってくるなという。


絆ってナンだったのだろうか。
あなたたちの苦しみは忘れないといった人は
どこに行ったのだろうか。

被災地は同じ国の国民ではないのか。


ここで子育てをしていかなければならない人たちに向かって、
自分の子供が大事ですからと面と向かって言えるのだろうか。
自分の言っている言葉が
そのまま被災地を遠く遠く遠く突き放していることに
気がつかない無神経さ