全県に暴風洪水警報

司教座聖堂

 震災で地盤沈下した場所がもうどうにも防ぎようのない状況だ。瓦礫が積み上げられた場所に強風が吹き、瓦礫が吹き飛び崩れる。川べりに土嚢を積んであっても水が超えてくる。どこまでも不安は膨らんでゆく。明日無事に暮らせるのだろうかといつも思う。心を病む人が増えているのはいたし方のないことではないか。なんと無力な私たちだろうかと思う。政治家たちの無策ぶりを見ているとこの人たちは自分のことしか考えていないのだなとしみじみ思う。痛みもわからない人、想像力のない人は仕方のないものだな。
 血の通った政治家はいないのだろうか。そんな風に思うこのごろ。私たちは自分の暮らしと誰かの暮らしのほんの少しの部分を抱えて生きようとしている。丸抱えは出来なくても、身の丈に合った庇い方はある。お互い様だったり、相身互いだったり。庶民は庶民の知恵の限りを尽くしてお互いを支えようとして生きてきた。おすそ分けだったり、お互い様だったり。見てみぬふりはしなかった。そうやって支えあって生きてきたのがいつの間にか福祉行政の名の下に余計なお世話になっていった。