この頃聞く言葉

おすし屋さんの絆

 もう 頑張れ も、忘れない も、絆 もくたびれた。こんな声をこの頃沢山聞く。傲慢なのではない。もがいてももがいても崩れてゆくこの足元の泥沼のような毎日に疲労困憊しているのだ。
 支援も復興もどこかよそ事のように感じる。もしかしたらどこかで誰かが必死で支えていてくれているのかもしれないけれど、自分たちの周りに在る物は時間が止まったかのような日常。築きあげられるよりも失われ続けていくもののほうが身近に感じられる。諦めと焦りとが繰り返し心をさいなむ。 
 未だそんなことを行っているのか。季節は一巡りしたのに。おそらく被災地以外では最早この手の感覚は過去のものになっているのだろう。
 私たちはここに生きているのだから、ここで毎日を送っていくのだから忘れることなんか出来ないの。忘れることは出来ないのだから、思い出すことも出来ない。それは絶えず現実そのものとしてここにある。

 古い友人が一人身になった。連れ合いを失うことのなんと痛みに満ちたことだろうか。老いた人にはこの一年の毎日は過酷だったのかもしれない。たとえあの震災がなくても、この人の寿命はこれまでだったのかもしれないけれど。せめて穏やかな満足の中に旅立って欲しかったと思う。