認知障害

 果たしてどこまで認知症が進んだら1人暮らしが無理になるのだろうか。歩行?調理?日常活動?其のどれが最後の砦になるのか考えている。
 高齢者が1人暮らしは無理かもと周りの人が思い始めたとき、何が最終の砦になるのだろうか。
 まず家事援助の為にヘルパーの助けを借りる、日常の生活補助を受ける。足腰が危なくなったら杖を使う。お漏らしが始まったらリハビリパンツを使う。その他もろもろの介護用品を駆使しても尚もうこれは駄目かもしれないと思ったのがお金の管理だった。
 お金は大切なものだとわかっているし、命綱だと思っているから生活支援者から計画的に生活に必要な経済管理を受けることは何とか了解する。ところが生活費を受け取ったら隠す。どこかに保管するのだがその場所がわからなくなる。泥棒が入った、誰かが盗ったと騒ぎ出す。そうなると身近な人がまず疑われて、ヘルパーが入って仕事をすることができなくなる。1人暮らしの最後の砦はお金の管理なのだろうなと思った。どこにしまったのか自分が未だ記憶できるうちに自分でルールを決めて心に刻み付けておく準備が必要だと思う。
 いづれにしても未だ考えられるうちに、自分の生活習慣をしっかりと刻み込んでおくことが老い仕度の根幹にあるのだと思う。そしてそれを支援者と共有してゆくことが出来たら自宅で死を迎えるまで1人でも自立した暮らしが出来るのではないだろうか。
 老いてゆく人の寄り添いをしていてふとそう思った。