このところ

十字架の道行 第4留

朝早くの地震で目が覚める。震度は大きくはないのだけれど、恐怖で目覚めるのは最悪の目覚めだ。いきなり布団からガバッと起きる。震度が小さいだけまだましかもしれないけれど・・・・・恐怖は一瞬の間に時間を遡る。


 こんな中で、被災地の支援体制もモノからココロへと移動してゆくが,これは逆に多くの一般の人を支援の現場から遠ざけ特定の団体、特定の専門職にゆだねてゆくことになる。これはあまりよいことではない。現場の実態が見えなくなり、現場の今が遠い物になって行く。現場が社会から隔離されやがて風化し忘れ去られて行きはしないか。
 もっと広く誰でも関われてそこに人を守り情報を共有するシステムがなければ、被災地はやがて特別の人たちの場所になってしまう。精神科医臨床心理士だけがサポートできるような人は極わずかだ。それが必要ない人がほとんど。ほんの一時の支えで人は立ち直ってゆける強さを持っている。考えようによっては、その関わりの基本ルールを一般の人が学び、さらに基本的な心のあり方を学び、誰もが誰かの隣人となれるような社会、コミニュテイを目指せば無縁社会がなくなる絶好の機会であったはずだ。それがなぜか被災地はそのまま「ひょうたん島化」して日本社会の中から漂いだそうとしている。
 心理の世界は守秘義務で縛られているからますますこのすがたは隠されて閉ざされてゆくだろう。



 一人が一人を支えてゆく。そんなさりげない当たり前のかかわりが出来る社会にするにはどうしたらよいのだろうか。被災地に生きる者ができることがここにはあるはずなのに。どんどん手足をもがれて「あなたたちは自分の生活を守りなさい。後は私たちがやりますから」と戸を閉ざされていくような感じがする。
 今関わっている専門家集団の存在はすばらしい。しかし、その人たちがいつまでもやっていられるわけではないと思う。本業があるのだから。いつしかそれを専業にするグループが出てきて、すべてはそこを通さなければ何も出来なくなるのだろう。そしてそこが撤退したら何が残るのだろうか。今専門職だけにゆだねるのではなく、扉を開いて一般の人にコミニュテイの原則をしっかりと学んでもらい、かつその人たちの資質にゆだねるべきところはゆだね、地域社会として如何に支えあって行くかを探ることが大切だと思う。


朝から物思う日であるな・・・・・・
親分はキロ単位でハックルベリーのジャム作りに取り組んでいる。この人は生活者の楽しみ方を知っていると思う。私は生真面目すぎるのかもしれないな・・今日は午後からケース。午前中は家の掃除に専念しようか。