朝起きられた

竈神様

 ああやれやれ。何とか何事もなかったかのように仕事に行く。午後、身体が空いたので(クライエントがお遍路に出かけてしばらくカウンセリングはお休みになった)仕事用の靴を買いに行く。お洒落靴は要らない。スリップオンで且つ走れて歩くためのかかともしっかりしている物。訪問先の居住環境が劣悪な場合も多いのでどんなに気をつけても靴の中を清潔に保つことに限界があるから、一年くらいを目安に廃棄する。価格も手ごろでなければならない。こんな条件を満たす靴はなかなか見つからないものだ。やっと見つけて購入したが、ゲロっとくたびれた。
 食欲はない。もう食べなくてもいいから寝たいと思うくらいくたびれた・・・この頃疲れを感じる。震災の後半年過ぎて、精神的にも、体力的にも限界を感じる。まだまだ余震は続いている。夜中に何度も飛び起きて津波情報を聞く。細切れにしか睡眠はとれないし、一歩街から外れれば、瓦礫の山。破壊されつくした無人の家屋がそのままに残っている。胸が苦しくなる。あの日から何も終わっていないのを身体が覚えている。この締め付けられるような疲労感は当たり前のことなのだと思う。
 無理しなければ生きていくことはできない。それが被災地に生きる私たちの現実なのだ。自分を責めない。他者を責めない。柔らかな気持ちを持って今日一日生きていこう。