3月11日から三ヶ月たって

 6月9日現在死亡・行方不明者計23547名。この数だけの人生があり、命の物語があった。そしてその物語と共に私達の今日がある。そのことに心を置いてこの震災を思い返してみたい。
 刻々とラジオから各地の様子が伝わってくるにつれて、不安は恐怖に変わった。深夜、仕事で関わりのある場所が津波に襲われていることを知った。ほんのわずかの差で私は津波に巻き込まれずに済んだらしい。他人事とは思えなかった。サバイバーズギルト・・・生き残ったにもかかわらず、死を選んだ人たちのことがひっそりと伝えられてくる。この大災害の中であっても、職責や個人の責任を強く感じた人たちがいる。防ぎ得なかった死だったのか。無残な思いに駆られる。
 被災しているにもかかわらず、自らの被災体験をあえて語ろうとしない人々に出会う。私よりも悲惨な人がいて、そのまた上にはもっと悲惨な人がいて。だから自分のことは語ってはいけないと思う人々。私は死別体験の遺族ケアに関わってきた。分かち合いのルールの中に「悲しみ比べをしない」がある。それは「あなたより私のほうが辛い」だけではなく「あなたのほうが私より辛い。だから私は語る資格がない」と黙りこむことも含む。ささやかでも、私の痛みもあるがままにシェアリングできる場が必要だ。普通の人が語り合える場所の力が、より大変な人を支える力になる。津波、火災、流出、倒壊、行方不明、死亡、そのはるかな裾野にいるすべての人の心の傷もなかったことにはならないのだ。私たちはその裾野に生きている。
 私たちは命が限りあるものであることを体験した。このはかない命を私たちは生きている。私たちはこの大震災で人が生きていくことの本質に触れた。分け合うことも、奪うことも、慰めることも、傷つけることも、優しさも、憎しみもみな1人の人の心にある。その時々どの面が強調されて表出するかだけなのだ。生きてみよう、ふとそう思った。