エレベーター無しで

姫ときつね

6階までひっきりなしに水を背負って階段を上り下りした結果、家族全員ひざを痛めた。今日はとうとう若い大将まで整骨に行くと言い出した。上の階の方たちがたまりかねて引越しを始めたのでたった一基しかないエレベーターは引越し荷物運びで使えないことがある。自転車を守るためにエレベーターで自分の階まで運ぶ人もいる。300世帯以上いるのにエレベーター一基ではとても間に合わないから、つい頑張って階段を使う。そしてひざが壊れた。
 まあ仕方がないことだ。そのこと自体は諦めている。天災なのだと諦めつつも、この先いつまでこの生活を強いられるのだろうかとも思う。引越しするにしても、修理が可能で住めるから罹災証明によっての補助は受けられない・・・自費でまたこれだけの広さを借りるとなるといささかたじろぐ。

 もう引越しはしないと決めた。例えどんなに不便でもこれ以上お金はかけたくない。引越しを自分の都合で出来るということは嬉しいことだ。今までは職場の都合だけがあって個人の気持ちは考えられなかったから。転勤族って考えてみれば過酷だよな。だから今回は引越ししないことに決めた。

 工事の音がしないのは日曜日だけ。土曜日もドリルの音が続いている。工事現場に住む経験はめったにできないからと思うけれど、これはなかなか厳しい。こんな生活は感情をゆがめてゆくと思う。互いに苛立つのが判るし、どうにもならないから。人間に向かって発散するのもわかるけど、怒りの対象になるのはやりきれない。

 みんなで整骨に行った。ほんのひと時気持ちが和らぐ。人の手は優しい。丁寧に揉み解してもらう。私はそれだけではどうにもならずハリを打ってもらった。痛かったけどイタカッタケド・・・・少しラクになった。少しでもホッとする時間が持ててよかったと思う。優しさに飢えているな。与えるだけでは人は枯れ果てて行く。自分もまた受けるものであることを知れ。自分に向かってつぶやく。

心やさしくありたい

 祈りとは聴く事。ただ鎮まって神の言葉を待つこと。ならば祈っているか。祈りはここにあるのか。心騒がせていては祈りを生きることはできない。