余震のなかで思うこと

 ひっきりなしに揺れている。めまいなのか、余震なのかがわからない。いつも誰かが「今ゆれている?気のせいか?」と誰かに聞いている。TVで地震情報が出ると、「ああ、揺れていたんだ」と安心する。もう震度の大きさは自分の感覚でわかるようになってしまった。一ヶ月は続くという話。いつもからだが揺れている感覚は「地震酔い」というのだそうな。心が其のたびにあの時間の恐怖に戻る。
 夕べ寝ながら揺れて、姫と「私たちって、レアな人生を生きているのかもしれないね」と話した。ミレニアムも経験した。1000年に一度の大震災も経験した。未曾有の原発事故も今体験しつつある。21世紀は微笑みの世紀ではないようだ。20世紀が戦争の世紀と呼ばれるが、今世紀は災害の世紀とでも呼ばれるのだろうか。
 少なくとも、今年お米は大変だろうと思う。仙台、古川近郊の稲作地帯が水をかぶった。田んぼが壊れて海水につかったから、これからの稲作の準備はどうなるのだろうか。畑も水をかぶった。福島も作付けは出来ないだろう。大地に生きる人は、今までもこんな過酷な体験を、子々孫々まで伝えてきて、さまざまな知恵を残した。其の知恵を持ってしても今回の災害は乗り切れないのかもしれない。