打ち明け話

 なんということのない会話の中で「昔結核をやってね」と打ち明けられることが多い。こちらはぎょっとするが、さりげなく「そうか。大変だったね。で、今は調子はいかが」とお尋ねする。貧しい暮らしをしておられる方に多いように感じるのは、私が出会う人々が、生まれてからずっと極貧の中で生きておられるからではないだろうか。栄養状態も、生活環境も、住宅環境も決してよいとはいえない暮らしの中で、昔結核をわずらった事は身の中に不発弾を抱えて生きているようなものだ。
 さりげなく言葉を聞き取りながら、今、身体は如何なのかを注意深く観察する。今日も孤独死におびえる気持ちを沢山聞いた。恐れているからこそ、福祉関係者や、民生委員には秘めて語ろうとしない。かつて結核患者の傍に行くとうつるからと避けられ、隔離されて、哀しい思いをした記憶は消えはしないのだろう。それを語ったらまた身の回りに誰も来てくれはしないと思っている。
 なぜ私に語るのだろうか。試されているのかもしれない。信頼しているからねといわれたのかもしれない。車に戻り、運転席の傍においてあるアルコールジェルで手を消毒しながら、やるせないなあと思った。