万年筆関連で思わぬことを思い出す

JIJIの形見の万年筆の修理を文具専門店に頼んだ。店員の手元の不確かさに不安を抱きながらもメーカー修理を頼む。戻ってきてからネットで検索してみた。モンブランの修理記事のブログを見つけ飛んでいってみたら、34年前にお母ちゃんが亡くなった病院の院長さんのブログに出会った。洒脱で面白い文章の方だった。
 思いもかけない不意打ちに、しばらく呆然としていた。そして思った。この面白い文章を書き自由奔放に生きておられるらしい方に、もし、この方にあの母の亡くなり方を問うたら何と答えられるのだろうか。ふとそんな思いがこみ上げてきた。もちろんこの人は遺族が未だに病院に対して質したいことを抱えて生きていることは知る由もないだろう。その当時、未だ他県で他大学の研修医であったであろうこの方には縁もゆかりもない病院であったことは確かだ。しかし、同じ病院の名前を見ると胸は痛む。万年筆の修理代を知りたくて検索していて思いもかけず、過去の痛みに触れた。しばし、あの日々のことを思った。一月六日未明。母は医療事故で亡くなった。この事実は私たちの心から消えることはない。