精神病院

とあるレストランで

 いつもの時間に訪問する。言葉が聞き取りにくく会話が成立しないことが続いていた。今日は始めて入れ歯をはめての面接。私に対しての気遣いを感謝。ヤッパリ聞き取りは難しいが、それでも時間をかけてゆっくりと傾聴。単語を拾えるようになってつなぎ合わせて確認。通じたよ・わかったよ。話したことの何十分の一であっても、思わず二人でにっこりする。ああうれしい・・・・私の言葉も、相手の言葉も意味を持った。今まではただの音声だったのだとしみじみと思う。
 引継ぎのとき「この人はこういう人で、まあ病気だから仕方がないね」といわれると哀しくなる。仕方がないとくくられた中に、それまでかかわってきた担当者の無力感が一杯詰まっている。そして相手の痛みも。どちらが悪いわけではない。お互いに諦めてしまったのだと思う。私が持っている特性のひとつに「あきらめない」という気持ちがある。一瞬でもいい、何かが通じ合う可能性があるのであれば決して諦めない。それはその時一回のことであっても、確かにそこにあった「かけがえのない時間」なのだ。そのことを私はこのような病院訪問で体験してきた。相手に育てられてきたのだと思う。
 また来月の面会日を約束して病棟を出た。背中で鍵のしまる音がする。閉鎖病棟はせつない・・・