さて

トウカエデの梢が紅い

 明け方までいろいろ・・・・話し合わねばならないことがあってそれから仮眠。しんどいことになりそうな予感があるが。他人に優しくするように家族にも優しくしてくれとかつて子供の一人に詰め寄られたことがあった。その言葉はいまも私の中で不文律になっている。姫とぼそぼそ話し合いながら、こんな時間はもう二度と来ないのかもしれないと思ったりもする。
 親はいつまで親であるのか。よく卒業したという言葉を聞くが、親は心でも親であり続ける。身体のすべてが親からのものである以上親を切り捨てて子供は存在し得ないし、その生育暦に残した影響はその子ども自身の歴史になっている。親を捨て去らねばならないとき、子供は自己の過去の時間を総括しそれなりの場所を絶ち切らなければ、親との決別は出来ない。そんなことを思いながら夜を過ごした。死は救いかもしれない。夫婦となると、問題はもっと複雑になる。そのすべてを死は飲み込んでくれる。解決しなければならない問題は一瞬にして私個人の問題になる。これを解放と呼ぶのがふさわしいと感じることもある。
 家族、この複雑で厄介なものを人は我が内に抱えながら日々を無意識にやり過ごしながら生きていく。ふとそのことに気がついて、こうして眠られぬ夜が訪れてくるのだろう。
 まだ若い娘にとって、これはとても大切な時間だと思った。


さて、行ってきます。