もうすぐ百歳に届かんとして

花巻のレストランで

 貯金をすべて奪われた記憶が今激しく噴出している。これだけ長く生きてきて、最後に残る思い出が奪われつくした記憶だというのは悲しい。かかわりの時間が短いからその他の記憶までたどり着くことができない。せめて今はもうそこからはなれて安全だよということ迄たどり着こうと願うが、そこもまた時間が足りない。私が「奪うもの」ではなく、ただ「安全の確認のよすがになるもの」であることを伝えるだけで精一杯。
 今、搾取という形の虐待がやっと騒がれ始めたが、近親者、友人による金品の搾取は随分前から現場では問題になっていた。そこからその人の権利を守るために成人後見人制度が生まれたのだが、それすら犯罪に結びつく可能性があることが現実に起こってしまっている。
 人間はなんとかなしい生き物だろうか。バレさえしなければ、目の前に自由になるお金があれば、つい手を出す。後で穴埋めをしようと思っていたにしても、ズルズルと時間は過ぎる。そのうちもういいやと思うのか、露見するまで犯罪行為は続く。
 その結果がこの姿であるということがあまりにも哀しい。金品どころか最後の命の時間をあらかじめ奪われてしまったのだ。たとえ楽しく平和な人生であったとしても、終わり間際が被害者であれば、人生の喜びは記憶に登っては来ない。これってあんまりだ・・・・・