友人が癌の治療のため

関東の病院に転院する。明日入院する。私たちに出来ることは心配すること祈ること。そしてこちらに残る家族の支えをすること。幸いなことに私はターミナルケアに関わって生きてきたから、少しは支え方が判っている。巻き込まれずに、今何がおきつつあるのかが判る人間が傍にいるだけで少しは凌ぎやすいものだ。こればかりは知識だけではどうにもならない。痛みの時間を共に生きて、繰り返し繰り返し味わって、また傷を受けて、そこからしか判りえない気持ちを知る。そして無力さをとことん知って支えるしかない。
 共に傷むものがここにいることが支えになればそれでよい。これは治療者ではないから立ち得る場所なのだと思う。旅立っていた沢山の方達が私を訓練してくれた。何物にも代えがたい時間が私に教えてくれた。
 耐えてきたなあと思う。生きることは死ぬこととつながっている。そのことを繰り返し味わってきた。
 生きて還ってくると彼は言った。そうだね、きっといい時間を沢山生きてまた還って来るさ。クリスマスに一緒にミサで歌おう。親分は自分が死に掛けたときから、生きてる感覚が変わったという。生きるか死ぬかを真剣に体験することもまた自分にとっては恵みだったと思うといった。
 私も、そんなものだろうなと思った。真剣にかつ伸びやかに生きてさえいれば、何が来ようと、いつ終わりが来ようと受け入れられるのだろう。空を行く渡り鳥のように、ひたむきに定めの道を羽ばたいてゆきたい。久しぶりに、ターシャの本を買った。古本で半額で見つけた。