日常

 さあまた明日から普通の仕事が始まり、一週間を忙しく過ごすのだろうな。心を込めて自分の最善を尽くそう。もうすぐ待降節が始まる。クリスマスを待ち望みながら、私たちは馬小屋の赤ちゃんイエズスさまの為に飼い葉おけの藁を一本ずつ捧げる。それは日々のささやかな捧げものだ。小さな犠牲と呼ばれる。そうやって自分の生活を主の降誕に向かって清めてゆく。昔からある古いカトリックの慣わしだ。今、教会の中でも知っている人はそう多くはない。古臭いといわれるけれど、こうやって心を整えて生活の中で修練してゆくやり方は、合理的だと思う。教会の典礼の中では繰り返し自らを見つめなおす期間が設けられている。一番大きなものは四旬節。これは復活祭と組み合わされている。待降節は降誕祭と組み合わされている。人間は繰り返し立ち返らなければ自らの心を整えられない生き物らしい。
 さあ、明日また新しく心を整えよう。「祈り、働け」ベネディクトの戒律である。その二つで修道生活は成り立っている。さあこの道をまた行こう。