無事

ちょいと木陰で

 すごいなと思った。希望が持っている力。事故直後に、リーダー格の人が「20日をめどに自分達の生存を確認してくれる」といったそうだけれどまさに生存者がいることがわかったのは17日目だった。この人の冷静沈着な判断と、適切な行動指示があって今回の全員生還は可能だったのだろう。
 アブラハムは希望なきところに希望を置きイスラエルの祖となった。モーゼもまたエジプトからユダヤの民を導き出した。指導する者とそれに信頼を置く者がなければ、このような絶望の中に希望が生まれる結果はない。
 翻って、自分の足元を見る。私たちの国の在り方が、ワーキング・プアを生み出し、若者から希望を奪い、高齢者から人間の尊厳を奪い、経済力だけが人間の価値を決めるような、そしてすべて個人の責任であるかのような社会であることに悲しみを覚える。
 私たちの日常には、希望がない。夢を語ることが出来ない。ただ明日の食物、明日の暮らしだけにあくせくする人生。まるで地の底に生きていくことのようだ。ここからの脱出は自らの命の終わりしかないとすれば、どうして人は夢をもち語り合うとが出来るのか。
 地底から戻った人たちはこれからマスコミの嵐に会うだろう。彼らに求められるのは、まさにアブラハムに従ったモーゼに導かれた民衆の心理だ。どんな気持ちで絶望を希望に置き換えて生き延びたのか。その生存を支えた意志の力はどこから来たのか。あなたはなぜ狂わず、自死せず生き延びられたのか。あの絶望的な状況の中で。
 それはこの現代の中で私たちが必死で求めていることの答えなのだ。私にはあの33人は、現代社会という坑道の中で後に続く者たちに警告を発する「カナリア」のように思える。