豊かな一日がここにある

 あわただしい日々が過ぎて、ふと静寂が戻ってきた。締め切り間近の報告書と原稿と願書を抱えつつも、なんと穏やかな一日なの始まりかと思う。やらねばならないことも、果たさなければならないことも自分の時間の組み立ての中で何とか処理できる安堵感。人と組んで人間相手の仕事をすることはこんなにも緊張感を保たねばならない物だったのかと改めて思った。


 もし、これが逃れ場所の無い長いスパンで組み込まれたことであったら、たとえば学校生活、会社勤務、集団生活、修行生活・・etcであったならきっとこの開放感を味わうのは一日の終わりの極わずかな一瞬だっただろう。私がこうして自分を取り戻す時間をもてたのはフリーの立場だからだと思った。


 人間は社会生活を営む生き物だが、その社会生活の根源にあるのは「孤」でいることを保障できる自分の空間を持つことなのだと思う。一人を恐れるあまりにこのかけがえのない孤の時間を手放してしまったとき、私たちは自分を取り戻す時間までも見失ってしまうのかもしれない。



自らを取り戻し、傷を癒す時間はなんと豊かで穏やかな時間だろうか。今日も今日一日にやらねば他人様に迷惑のかかる仕事リストを作りながらそれでも「私のための時間」を確保できることに感謝する。このシンプルな時間を持てる豊かさをあらためて味わう。