判ってくれた

 ママは、私をちゃんと、すぐに思い出してくれた。というより判ってくれた。顔をみたとたん「あら、どうしたの」と部屋の向こう側にいたのに戸口に立っていた私に向かって言ってくれた。「仕事の合間に抜けてきたの」といったら、普通に「あらそう」といってくれた。それはかつての私と母の会話だった。あの瞬間がここにあった。嬉しかった。母の中に私が生きていることが嬉しかったし、自分が母の世界に生きた存在であることが嬉しかった。絆が確認できたことが、今後私が生きてゆく大地が母につながっていることが確認できたことは私にとって何にも代わりのできない物だった。親にしかかできないことがこの世にたった一つだけある。それはあなたの命を私は知っていると保障すること。それは命の始まりに関わった親にしかできない、「愛されて生まれた命」の証明だ。私はもしかしたらこのことをずっと疑っていたのかもしれない。出自の確認を普通の子供はする必要を持たないが、不妊治療のさまざまな技法によって、代理出産によって、契約出産によって、養子縁組によって・・・・さまざまな出生の事情によって出自の不安、未確認を抱えて生きていかねばならない子供はいつもどこかにこの不安定さを抱えて生きている。大地の根元に下ろした根が揺らぐ一瞬がある。
 社会は無条件に母性を称えるが、それに該当しない子供達がひっそりと沈黙をしながら生きていることを知って欲しいと思う。生む側、育てる側の気持ちは取りざたされるが、生まれてくる側の心の問題があまりにも軽く扱われていると思う。
 人は安心して命を受け、はぐぐまれ、育つ権利を有する。基本的な人権という物はそういうものだと私は思う。
ママは、彼女にしかできないことを私に対して与えてくれた。ほかの人には何の意味も持たない「あら、どうしたの」の一言が与えてくれた物は大きい。帰るとき私はほっぺにkissをした。そして「またね」といった。今度私がわからなくてももう私は平気。今度は私が誰になっても亡くなった姉妹であろうが、仲良しの幼馴染であろうが、成りきって話を聞ける。ごく自然な形で。もう私は自分と母との絆に安定しているから誰と思われても揺らがなくても済む。生まれてから一度も親子関係に人工的なゆがみの時期がなかった人にはきっと想像もできないことだろうけれど。見捨てられたと感じた記憶は乳飲み子であっても心の奥深く刻まれる。