命の講話まで一週間

 1999年に始まった命の講話が来週ある。はじめはカテドラルで親分と私それぞれにお互いの立場から命についての講話をした。それから私が某学園の高校三年生に講話をするようになった。それから何年かたって今度は夫婦で話をするようになった。親分は親分の仕事を、私は私の仕事を通じてそれぞれが命、生きる、家族、死ぬ、愛する・・・などさまざまな組み立てで講話する。
 このところ私は夜までびっしりスケジュールが詰まっているので明日は親分一人で打ち合わせをしてもらうことにした。あらかじめこちら側の構想はできているので、明日は学校の担当教諭と内容の確認をする。この長い年月一度も焼き直しはしないできた。こだわりと言うか、一年生きていればその一年の間に出会うことがある。若い人たちに小父さん小母さんの年齢でもこんなに一杯感じることがあるんだよと伝える。まして敏感で、びりびりしている若い君たちの心はもっと感度がよいだろう。ゆっくり親の年齢の言うことを聞いてみるのも悪くは無いでしょ。
 18歳の一日を真剣に向かい合って大切なものを分かち合う。この時間は私たちにとって何物にも替え難い尊い時間だ。