6月に

 次男がマンションを引き払って一時合流という話になっている。たぶん姫の大学在学中はこのままこの街で親も暮らすが、卒業して姫の就職が決まった段階でこのユニットは解散する。子供たちはその時の流れで合流したり分蜂したりして流動的に暮らしてきた。だから成人した子供が合流したり、未成年の高校生を他県に置いてきたり、世間の流れとは異なる暮らし方を選んできた。それが自分たちの今をより良く生きることであれば、決断してきた。今回の合流はルームシェアが目的。お互い高い家賃を縮小したい。二箇所で支払っている分を考えたら居住空間は少し狭くなるけれど、協力し合ってそれぞれの次の出発に備えようと思った。まず、収納品の縮小が最大の課題。今度こそ思い切り処分するぞと決意した。一番のネックは過去に重宝した高価な衣類。お役だった記憶があるから処分できない。もったいなさが先にたって後ろめたい。こんなときは「ご苦労様でした」と思い切るしかないんだけどな。
 思い出がまつわると、たとえ使わなくてもこれを置いておくスペースくらい作れるのでは・・と思ってとっておく。亡くなった人の物はもはや処分されて減ってゆくしかないから余計・・・と思ってしまうのだろうな。物に執着するというよりも、故人との思い出に未だ絆を感じている。形見という発想はこんな感情を一般化したものなのかな。
 十分に愛情を感じて育った人は、何物にも縛られることなくその人との思いを確認できるが、愛情がどこかでうまく流れないと、人は物に託して心を結びたくなる。ものが記憶の欠落を埋めるかのように。