雨の朝は穏やかだ

バスの窓も雨に濡れ

 静かな朝。穏やかに一日が始まる。遠くへ出かけるのではないけれど、今日は午後から来るまで二箇所移動をしなければならない。このところ駐車場事情がよくないので、一回の会議や研修でかかる駐車料金が1000円を超えるのでいたいなあ。せめて補助しtれくれ無いかなあなどと思うのだけれど、バスや地下鉄を使っている人だって全額でないのだから仕方ないだろうよと思う。午後からの研修はいったいいつまでここに関わらねばならないのだろうか、何でいつも交通整理をしますと声を大きくしてかみ合わない議論を整理しなければならないのだろうかという重い気分が残った。
こんなときはこの本を読む

臨床とことば (朝日文庫)

臨床とことば (朝日文庫)

もう一冊は
すべて新たに

すべて新たに

 気持ちの整理というよりは、その重さを抱えて尚、浸食されない力を取り戻すことができる。本を読むとき、このごろの私は「頭でよむこと」をやめた。心で響きあうことが今の私のは必要なんだと思う。それを思ったのは、研修をしていて。せっかく感受性の訓練をしているのに「勉強になりました」と締めくくられると、ああ・・・・違うと思う。頭ではなく心で、と思ってもそれをどうやったらわかってもらえるのか、気持ちを意識することの難しさをまた感じる。私が知識の言葉を語っているうちは、それは知識としてしか伝わらない。気持ちの言葉で心を語らなければ、研修生に自分の心の揺らぎを体験してもらうことにはならないだろう。
 臨床で人と関わることは地の言葉と心の言葉を使い分けることが求められる。人が人に出会うのはこのどこにあるのかわからないけれど、一番豊かで人間を支えている  こころ に触れたときなのだと思う。 こころよこころ とその存在を感じながら生活を組み立ててゆきたい。