美しい・・・・白い海に沈んでいるような気分

盛岡 開運橋

 朝四時に目が覚めて、外を見たら一面にミルクのような靄が辺りを包んでいた。なんと心地よい白い闇。光に包まれてしかも何も見えない白い靄にくるまれて今日が始まる・・・ラジオが、ゆったりと当たり障りの無い話題を流している。一日の始まりの人もいれば、この時間が一日の終わりの人もいるのだろう。働き方も生き方も、みな異なっている。夜が来れば眠り、朝が来れば目覚める暮らしの人ばかりではない。シフトで働きをつなげていく職場が増えて、人間は時間をつなげて何かを満たしあって生きていく。
 目覚めたということは今日一日をまた私は与えられたということなのだ。今日の予定はガールスカウトの連絡会と、夜はボランティアの継続研修担当。夜まで気を抜けないな。ボランテイア活動の比率が労働時間に占める割合が高くなってきている。無償で働くことにむなしさは無いけれど、この時間もし有償であれば家計の足しにはなるなあと思うことも正直ある。それでもボランティアでしかできないことが多いのも事実。それを許してくれる家族に感謝。ありがたいと思う。
 ボランティアをはじめたのが少女のとき。それからずっと何かしらやり続けてきた。それは私の生涯を貫いている太い幹かもしれないな。自分の人生のどの部分を切っても、誰かの為に、誰かと共に生きた時間がある。それはささやかだけれど私自身の足跡でもある。
 誰も記憶さえしていないであろうかかわりであったにしても、もしかしたら誰かの渇きを一時潤したかもしれない私の中の暖かな思い。それは私自身をも生かし続けてくれた。生きることを深く刻み付けてくれた沢山の出会いにめぐり合えた幸い。
 与えることは身を低くして受けることを学ばなければできない。人から与えられて初めて与えることができる。砕かれなければ、人とは出会えないのだと身にしみて判った時の衝撃。砕かれても砕かれてもまだかたくなに残る自分の壁に立ち尽くしたとき、限界がわかってこそできることがあると知った。
 目に見える報酬ではなく、目に見えない報酬をあふれるほどに頂いてきたと思った。与えた物よりも受けた物のほうがはるかに大きいとも思う。そんなことを思い巡らしているうちに見る見る靄が晴れてこの町もまた目覚め活動を始めた。私もまたこの日一日心を込めて生きようと思う。