悲嘆

 この言葉が嫌いだ。これをあたかも病名のように貼り付ける学者と呼ばれる研究者が嫌いだ。心が当たり前のプロセスを当たり前に送って静かに耐えていこうとしているのに、それをハタからああだこうだと評価してものを言うな。あなたたちが知っていることは悲しむ者が提供してくれたホンの表面的なことにしか過ぎない。それをすべてだと思って得々と語ることはやめて欲しい。
私は悲嘆と言う言葉でくくられることがどれくらい遺族を苦しめているのかを目の当たりにして、この人たちを材料にして自分の業を成り立たせて行こうとする人たちを、受け入れたいとは思わない。いったい何を感じているのだろうか。傲慢だと思う。あえて言いたい。悲しむものたちはあえて何も言わずひっそりと沈黙する。それが一番苦しくないやり過ごし方だと体験してわかっているから。苦い思いを重ねて判ったことなのだ・・・