今日はそれぞれがハードワーク
午前中仕事をして、午後から研修に。姫は受験。親分はその間を行ったりきたり。さすがに夜戻ってから夕食を作る元気は無くて親分が麻婆茄子を作ってくれた。ご飯は姫が炊いておいてくれた。大将が様子を見に来る。穏やかな一日の終わり。試験は明日もある。
今日はよく働いたからよしとしよう。読み始めた本がなかなか響く。ヨブ記を題材にしている。その中にラーゲルで絶望、孤独、精神的視という苦難を生きたプリーモ・レーヴィの詩が掲げられている。
暖かな家で
何事もなく生きている君たちよ
家に帰れば
熱い食事と友人の顔が見られる君たちよ。
これが人間か、考えて欲しい
泥にまみれて働き
平和を知らず
パンのかけらを争い
他人がうなずくだけでしに追いやられるものが。
これが女か、考えて欲しい
髪は刈られ、名は無く
すべてを忘れ
目は虚ろ、身体の芯は
冬の蛙のように冷え切っているものが。
考えて欲しい、こうした事実があったことを。
これは命令だ。
心に刻んで欲しい
家にいても、外に出ていても
目覚めていても、寝ていても。
そして子供たちに話してやって欲しい。
さもなくば、家は壊れ
病が身体を麻痺させ
子供たちは顔を背けるだろう。本は[rakuten:book:11573131:detail]
副題は苦難・神・他者の発見
小さな本だが、今私たちが抱えている答えの出ない、不条理といってもよいような苦しみに向かって手を差し伸べようとするとき、この本はひとつの道を示してくれると思う。著者は宮本 久雄(みやもと ひさお、1945年2月23日 - )、哲学・聖書学者、東京大学名誉教授、上智大学神学部教授 。本書は2005年信濃町申請会館での講演会を基にしたもの。胸にすとんと落ちてくる。不思議な本。