今日は施設と病院をはしご

姫デッサン・スモークガラスビン・八朔

 いろんなことを過ぎてきて、今つかの間の一休みの時期。そんな人を訪問した。身体の中に時限爆弾を抱えているが、そのスイッチがいつ入るのかは誰も予測できない。言えることは、今ものが食べられ、眠ることができ、ささやかな花壇に花を育てることができること。明日のことも、もう考える必要は無い。桜が咲いたら球根を植えよう。種をまこう。仲間とバスで町に行って肥料も買ってこなければ。ニコニコと楽しそうに話す。私もなんだかほっこりとうれしくなって「うん、うん」と話を聞く。この人のそばにいると老いてゆくこともまたいいものだなあと思う。忘れることができる能力は、ありがたいものだなあと思う。周りに迷惑を沢山かけているのだけれど、それが許されて老いは存在する。認知障害を如何に周りの手助けで過ごしやすくするか。もっともっと研究されてゆくのだろうし、周りのスタッフも学んでゆく。迷惑って何を指すのだろうかと、また改めて考える。助け合いながら人は生きてゆくものだ。そんなことをまた考える。考えても考えても終わることが無い問いかけ。答えはまだ無い。
 jijiのふんわりとした笑顔を思い出す。あの笑顔があったから、私は今ここにいて、人と関わっているのだなあと思う。とげとげしさも、ぎすぎすした空気もない。得がたい時間をもらっていたのだなあと思う。過ぎてしまうのだ、そんな宝もののような時間も。