怒りの対象になるとき

姫鉛筆デッサン(ビン・石膏・なす)

 脈絡無く攻撃対象になる人がいる。ほかの人ならば許され、見過ごされることであっても、なぜかその人だけは攻撃されてしまう。本人は自分の側に問題があると思って努力するが一向に改善されない。そんな時、自分に原因があると思うことをやめて「これは私の問題なのか、相手の問題ではないのか」と考えてみたらよいと思う。
 思い当たることが無いとき、相手の問題であることが多い。なぜか癇に障るから攻撃したくなる。攻撃したくなった気持ちで見るから些細なことも突き刺さってくる。むかつくという表現で表される感情。むかつかれた人はたまったものではない。攻撃はひとりで収まらずグループ化してゆくことが多い。そうなるとひとりのむかつきで済んでいたときよりはるかに攻撃ポイントが増えてゆくから、対象にされた人は居場所さえなくいなってしまう。いじめが表面化してしまったとき核になった最初のひとりは自己正当化しているから自分が興したことだとは気づかない。みんながそう思っているのだからあの人が悪いと思ってしまう。
 いじめを解きほぐしてゆくと、些細な一人の気分の悪さ、気ままさにいきあたることがある。苦しくなったら助けを求めることもできなくなるから、身に覚えの無い不快にさらされたとき、最初の時点でこれは誰の問題なのかをしっかり判別する必要がある。そして相手の問題と判断したら、周りに助けを求めることだ。自分だけで抱え込んでしまわず、自分が受けているいわれの無い攻撃の全容を回りにさらすことだ。多くの目で見て何が起こっているか、起こり始めているかが確認されればそれが抑止力になる。自分が悪いと抱え込み隠さないことが大事だと思う。このとき支払うエネルギーはその後に耐えてゆくエネルギーの何十分の一の小ささで済む。最初のちょっとした勇気が身を守る大きなとりでになる。最初の声を上げるとき、支え手になるのはその場所を見渡す位置にいる人間の義務であるのだが、今その立場にある人のパワハラが問題になっているケースが多い。こうなると人事異動で切り離すしかない場面が出てくる。きついなあ・・・と思う。