今まであまり気にせずに来たけれど

 時間を24時間で掴み取っている。受験日が迫っているからだ。私大はA判定なので、何とかお金の心配だけで済みそうだ。問題は国立。進路を変更したために新たにやらねばならならなくなった部分を如何に強化してゆくのか。訓練で身につけていかねばならない基礎的な特殊なスキルアップは毎日の努力しかない。本人は自分の大好きな方向に進めることなのでむしろ生き生きしている。
なぜ最初からそっちに進まなかったかというと、それだけで食べてゆくことは不可能だから。
 受験につながるスキルアップは、途切れない緊張と地道な積み上げ以外に腕を磨く方法は無い。ピアノの運指練習と同じ、声楽のヴォイストレーニングと同じで、一日でも休むと眼が形の見極めができなくなり、手が動かなくなる。からだが忘れてしまう。感じ取れなくなる。だらだらとやっていては身体は何も習得しない。時間だけ過ごしては伸びない。集中力を如何に持続できるのか。途切れそうになったとき、自分で建て直しができるかが勝負だと思う。それが受験の特徴だと思う。楽しむことができるようになるためには、自在に自分を表現する能力が必要。それは道具が楽器であれ、言葉であれ、絵の具であれみな同じこと。道具を自在に使いこなすことができなければ、作品は、不完全な未熟さによる偶然の産物でしかない。
 ピカソが画学生時代誰も及ばなかったほどの緻密なデッサン能力を持っていたことは有名な話。呼吸するように努力し続けてやっと自分なりの表現を発見することができる。言葉をつむぐ生業をしていたとき、何をしていても言葉が巡り、書き留めなければ安らぐことができなかった。義務としてではない。そうすることが最も自分の自然なあり方なのだから止められない。絵描きのポケットにあるのは小さなスケッチブックと鉛筆。自然に生きる中で途切れることなく自分を磨き続けることができるから、物を作り出す能力が育ってゆくのだろうと、私は思う。