土砂降りだったり、晴れたり

 今日のお天気は激しい。季節が変わってゆく前触れなのだろうな。緩やかに、何があっても時間は止まらず、季節は巡っている。私たちはそのひと時を生きていく。始まりもわからず、終りもまた自分で知ることはない。命が自分自身の始まりも終りも自覚できないことに意味があるのだろうか。そばにいる誰かによって確認される始まりと終り。自分が誰かの命の証人になることでしか知ることができないもの。今それは両方とも病院で管理されている。果たしてそれは私たちが望んだことなのだろうか。その瞬間に何の意味も無いのかもしれないけれど、その瞬間に立ち会うのが見ず知らずの医療専門職であり、家族は外に退かされる。それは誰が望んだことなのだろう。もっと穏やかに、命そのものの時間を愛するものたちと、共有できないものだろうか。
 流れてゆく雲を眺めながら思う。私は自分の命の声に忠実に終わってみたいものだと。