毎回引っかかるけどな・・・

晴れて雲が高い

 いろいろ数値で引っかかることが多くなってきた。それでもつつがなく生きていることにまず感謝。車ならもう走れないかもしれないのに、人間の身体は不都合を丸く飲み込んで、何とか各機能がお互いに補い合って生活をしてゆける。素晴らしいものだな。
 聖書の言葉に教会を身体に例えている箇所がある。「お互い足りないところを補い合って生きてゆけ」ということなのだけれど、若いころはぴんと来なかった。理屈では分かっているのにしっくりと腑に落ちない。今、私はわが身に起こっていることとしてすとんと胸に落ちる。視力の落ちたところを聴力が補っている。嗅覚が補っている。感覚が研ぎ澄まされてゆく感じがする。記憶力が落ちてきているからメモをして覚えておこうと努力する。自分がもう外部記憶に頼らなければならなくなったから、必死で外部記憶を作る。場合によっては、周りのスタッフにも情報を共有してもらう。
 何が出来なくなったかを受け入れてそこは潔く諦める。こうやって補いつつ生きていくあり方は無意識の中でスライドが起こっている。自分では意識できない。
 もしも、人とのかかわりの中で、この無意識に相手に意識さえさせないで、自分でも意識しないで、極自然な行為として「支援行為」ができたら良いなと思う。本来「助け合う、支えあう」ということは、「お助けします」と相手に宣言などせずに行う行為ではなかろうか。それを宣言して行うところに自分の弱さが見え隠れする。私がやったことを認めてもらいたい浅はかさ。弱さ。改めてTOTUS TUUS でありたいと願う。今は亡きポープが大切にされていた言葉。