折角の休みだから

秋の逆光風景

 やりたいことが満載で、かえって忙しくなりそう。親分に「あなたは盛岡を片付けなさい。私はこっちを片付けるから」と威勢のよいことを言ったものの、現実は溜まった半期分のレシートの整理をしただけ。まだ何も手がつけられていない。まず気になっている水回りの掃除をしようか、それとも衣類の整理を仕様か・・・とほほの状態。食器も引越しの時親分が手当たり次第に入れてくれたので今一私の使い方と違う。サッサとやればよいのだがどうやら私も姫風邪がうつったみたいでやーな気分。
 秋田のエンカウンターが10月から11月に延期になった旨の連絡が入った。ああやれやれ、これで少しだけ体が休まる。殆ど休日らしいものがなくて毎日予定をこなし、仕事の整理をしてゆく事で自分の気持ちを駆り立てていく生活は、私に向いているのかもしれないが、時々無性に立ち止まってじっとして居たくなる。息を潜めて私はここにいませんよといいたくなる。そんな自分をいとおしいと思うこともある。私は私と言い切ることが出来たなら、そしてそのことが誰をも傷つけないのならば、私はそうしたいのだろうね。
 藤崎デパートの別館で「ターシャ・テュ−ダー展」をやっている。明日が最終日で、全国を回ってここが最終展示。終了後展示品はアメリカに帰ってしまうのだそうな。見に行こうか迷っている。私は彼女の人生の足取り、歩き方そのものが好きなので、彼女の残した物たちを見てそれが何かをメッセージしてくれるかに余り期待していない。それよりもターシャリアンを自称する人たちの集団が発する独特のにおいが嫌なのかもしれないな。そこでたじろぐ私の方が偏屈かもしれないとも思うけれど。あの違和感は少々辟易する。というところで迷っている。