今日は一日SV

「ヒメコウゾ」の実は甘かった

 昨日に引き続き今日はSVをする。人を教育することは自分をとことん絞ることでもある。特に聴くことをSVすることは、クライエントとカウンセラーのかかわりの中に、カウンセラー自身が見えてくる。そこをどうやって自分自身の気付きにすることが出来るのか。指摘するのは簡単だが、それでは人は育たない。時間が掛かっても自分の心を覗いてもらわなければならないのだ。その人が抱えている心の闇があぶりだされることも少なくない。それに向き合ったとき耐え切れるのか。そこまで静かに寄り添ってゆくのが私のやり方だ。「こういうSVは初めて体験しました」と言われると嬉しい気持ちがする。私がスーパーバイザーの資格を取りたいと思ったのは、自分が受けたいと思うスーパービジョンが受けられなかったことにあった。自分が思うやり方が人を育てるのかどうか、少なくとも私自身はそのやり方を求めた。同じように感じている人はいるはず。仲間を見ていると、その思いは確信になった。バイザーに指摘されても、人は与えられたからと言ってその道を歩けるとは限らない。どんなにたどたどしくても自分でつくった道なら歩いてゆけるのだ。私のやり方は、時間も手間も掛かるが、緩やかにその人がその人らしく深まってゆく姿を見ている。小さな変化でも見えてくると嬉しい。人を育てることは、自分もまた育ってゆくことだ。言葉ではなく、実感としてそう思う。自分がカウンセリングをする何倍ものエネルギーを注ぐからぐったりと疲れる。しかし、これもまた私のための学びでもある。おたがいに学びあう。育てあう。そんな感覚が好きだ。