外は雨・・・雨・・・雨

トマトの芽

こんな日はとろとろと眠る。夜遅くまで仕事が続いたからもう毎日の睡眠だけでは疲れが取れなくなってしまった。こんな日は兎に角疲れを取るために眠ることが一番よいと思う。人と会って話を訊く仕事は知らず知らずのうちに相手のよどんだものを引き受けてしまうらしい。だからどこかで自浄作業をする必要がある。座禅を組む・瞑想をする・祈る。私の場合はロザリオを繰る。珠の一つ一つに祈りを乗せて無心に祈る。念仏を唱えることと同じだと思う。静かに座して底に自分の場所を作る。腰掛一つあればよい。なければたったまま、地べたに座ったままでもよい。あるがままの姿でそこが祈りの場所になる。
 眠っていると目の奥に色々な言葉が姿を表しては消えてゆく。色だったり影だったり・・・そのまま眠ってしまう。目が覚めたとき、心の中に溜まった澱は沈黙している。ざわめきはもうない。
 師匠が「父の日おめでとう」と電話をかけてきた。離れていてもお互いを気遣う。生きているから出来ること。車の手続きの為にjijiの除籍謄本を請求する。人の一生の何と短いことか。そしてこんな形で思い出すことや、カレンダーの日付で思い出すことが多くなり、さり気ない日常の中で静かに消えてゆく記憶。納得の行く形で死んでいった人々は穏やかに沈黙してゆくのだなあ・・記憶の中でさえ・・親の氏はいつの日にか納まるところに収まって行くのだろうけれど、子供の死はいつまでも生々しくて共に生き続けているような気持ちになる。忘れ去る事が恐ろしいkら心が握り締めて思い出を薄れさせない。これはこれで良いのではないか。心が、気がすむまで抱き続ければよいのだ。眠りの中であの子の影が通り過ぎていった。