心が騒ぐので

今はもう少し大きくなったよ

 マクラメ糸でロザリオを結んだ。生成りの糸にサクラの枝で作った十字架をつけた。まだざわつくのでもう一本。今度は塗りの十字架をつけた。さらにもう一本。16歳の時から持っているリジュのテレジアの大きなメダイをつけた。裏は御心。ドイツ製の大きなメダイ。これをもったときある修道会に入るつもりだった。心を決めて出ようとした時母が倒れた。犠牲になろうと思った。あれから長い年月が過ぎた。あのときの決意が正しかったのか私には分からない。自分は結婚生活には向いていないと感じるからなおのことそう思う。結婚したことによって大きな不幸せを撒き散らしたのかもしれないと思うことがある。例えそう思っても来た道は引き返すことできない。この道が過ちであるならば、過ちでなくなるまで自分と戦うしかないではないか。生涯をかけて私はこの大きな問いに答えてゆくだろう。ここが私の生活の場所なのだから。囲いの中に入った方が楽だったろうなと思うことがある。もしかしたら、勘違いして一番向いてない場所に呼ばれてしまったなと思うことがある。私は、時々修道院で過ごすことがあるが、その時感じる「いるべき場所にいる安心感」を否定できない。ここが居場所であるはずは無いのだと自分では分かっているのだけれど。決して逃げ込む場所ではない。それぞれの場所にはその場所特有の痛みがある。そこで暮らしてみなければ分からないこともある。比べるものではない。置かれた場所で精一杯咲くことだけでよいのだ。私たちは旅の途中。