今日は日中はOFF

影の映りこみ

 ああ嬉や。日中はOFFなのだ。夜19時から会議が一本或る。親分は今しがた元の職場の行事にご招待で出かけた。嬉しいな。独りの時間ができた♪何をしようか。
 外はしとしとと雨・・・スケッチは今日は無理かも。今まで彼が仕事をしていて在宅時間が殆ど無くて、一生懸命独りで私の時間を切り崩して、家の中のことも外のことも何もかも駆け回っていたが、一旦こうして彼が在宅で私が外に出ると、気持ちの調整がとても難しいことに愕然とする。お互い干渉しあうことも少なく、寧ろ協力し合って仕事をこなしてきたはずなのに、「濡れ落ち葉」だの「粗大ごみ」だのという感覚は無いのだけれど、何となく私が彼の世界を侵略しているような気分になってしまう。彼が何を今考えしようとしているのかがさっぱり理解できず、この人は一日何しているのかと思うことが多い。もしかしたら、これが家にいるものと外に出ているものとの感覚の違いなのかもしれないな。
 自分が自分らしいと感じる瞬間は、私の場合は一人でこつこつとやっているときなのだ。親分もまたきっとそういうものを持っているはずなのだが、長年組織の中で生きていると、自分をそぎ落としてしまうのかもしれない。自由人の匂いが薄くなったなと思う。寧ろ組織人間の彼のほうが彼らしく感じてしまう。
 夢を見て夢を語り、夢に向かって歩くことをためらわない人だった。だから結婚したのになあ・・・・
6月10日。私たちは結婚37年目。出逢ってから48年目。
何と長い年月を一緒に生きてきたのだろうか。この長い年月を共に生きてきたことだけでもお互いに祝福しあうことができるようにも思う。
 今日の写真は、この前二人でぶらりと出かけた港の側のアウトレットの通路。壁のフェンスの影が床のタイルの上に模様になっている。私たちの結婚生活のようだ。どちらが光でどちらが影かは分からないけれどどちらがかけてもこの絵はできない。影も光もそれぞれの姿を現しているだけなのに、そこにコラボレートしてまったく別の絵が描かれている。お互いに補い合って生かされているようにも感じた。つかの間のいのちなのだ。二人共に。この絵でいられる時間もつかの間のこと。今を生きる。カペ・ディ・エム。現世的な享楽を求めての言葉ではない。しみじみと「今」という時間を思う。