発作的に抱えきれないくらいの花が欲しくなるときがある。啄木の歌のように・・・・いや違うなあ。もっと激しいせつなさ。人恋しいのではなく人を必要としない孤独感。ひらがなのひとりというかんじ。漢字では表記できない気持ち。
 多くのお年寄りが一人で暮らしておられるけれど、あの人たちはこの発作のような感情をどうやってなだめておられるのだろうか。或る方がデイサービスで泣いている女性に声をかけた。泣いていた方は「家に帰ったら私は独りきりだと思ったら悲しくてたまらない」するとその人は「私は生涯独りきりで生きてきたよ」といったそうな。泣いていた女性は黙って泣くのを止めたそうな。この話を聞いたとき独りで生きてきて今また一人きりで死んでいかねばならないこの人をいとおしいと思った。甘えもせず、ひがみもせずただ現実を淡々と生きている姿がまぶしかった。人間はとどのつまりは一人なのだと・・・何処まで行っても独りきりなのだとこの人は言っている。それがどうしたというのではない。そのことに気がついて改めて自分の周りの人とのかかわりを見直しなさい。そう感じたのだよ私は。私に向かってこの人はそう伝えたかったのだきっと。